以下、個人的な備忘録。
投資組合の時代(1957年から1968年まで)
バフェットは、コロンビア・ビジネススクールでベンジャミン・グレアムに学んだ後、グレアム・ニューマン・コーポレーションで2年間の証券アナリスト勤務をおこないました。その後、家族や友人から資金を募って自分自身の投資組合を設立します。
この頃のバフェットは、
- 対象企業を徹底的に分析。
- 本質的価値よりも安い株価で購入。
- 株価は企業の本質的価値と乖離して大きく上下に変動するが、基本的には本質的価値を中心に動くという理解。
- 投資家がバブル状態なのか、逆にリスクオフの状態なのか、心理的な状況の把握。
という視点を既に持っていました。しかし、バフェットが後の時代と違うのは、
- 購入対象が、「永続的な競争優位性を持つ企業」ではなく2流/3流の「シケモク会社」中心。
- 本質的価値の算出が、収益よりも、資産価値に重点(ネットネット会社)。
- 経営に深く関与。
- 株価が上昇すると株式を売却。
という点でしょうか。
そして、1968年には市場が活況を呈してバリュー株を見つけることが困難になったため、投資組合を解散して一時的な隠居生活を送っています。
以下、この時期に購入した銘柄です。
サンボーン・マップ・カンパニー(1958年)
地図作成会社。ビルの構造や建材の情報を含み、火災保険会社で見積算出のための基礎資料として定期販売していました。業界のリーディング企業でしたが、建設費用などの財務情報から保険料を見積もるという競合手法が出現し、株価は60%近く下落します。
バフェットは中核事業を中心とした事業再生の可能性と、株式や債券などの多大な保有資産に目をつけて支配株主となり、経営にも関与して大きな利益を得ます。
デンプスター・ミル・マニュファクチャリング・カンパニー(1961年)
灌漑設備に用いられる動力源としての風車の製造販売会社。本業は電気ポンプに押されてジリ貧でしたが、風車のアフターサービスによる売上と利益は一定の規模があり、また販売チャネルを利用して農業器具の販売にも進出していました。
この会社の特徴としてはいわゆる「ネットネット会社」で、資産の大部分は現金化が容易なものでした(正味流動資産から負債総額を引いた値が時価総額の1.5倍以上ある銘柄をネットネット会社と呼びます)。
バフェットは支配株主になり、在庫を現金化して投資に回し、業務改善を図りました。経営にも関与しましたが、旧経営陣の無能さに見切りをつけて新しい経営者を送り込んで業績回復に成功します。
バフェットはこの会社で人員削減や資産売却に関与することになり、それがトラウマとなったらしく、以後は経営に深く関与しない方針を取っています。
テキサス・ナショナル石油(1964年)
小規模な石油会社。当時は大手からの買収提案を受けていました。
バフェットは情報を徹底的に分析し、買収の成功はほぼ確実だと判断し、不確実性により安く取引されていた社債や株式を購入して、短期間で20%超の利益を得ています。
アメリカン・エキスプレス(1964年)
当時はクレジットカードの黎明期で、既存のトラベラーズチェックを上回る勢いで成長していました。当時も一流会社という扱いでした。
ところが1963年にアメリカン・エキスプレスは倉庫業を営む子会社が巻き込まれた詐欺事件(サラダオイル事件)で会社存亡の危機に直面します。
バフェットはアメリカン・エキスプレスの株を彼にしては比較的高めの価格で購入します。彼の計算の中にはトラベラーズチェックのフロートによる利益(小切手を発行した時点で現金を得て現金化されるまで無利子で自由に使える)もあったのかも知れませんが、それにしても、それまでのシケモク企業に比べると大きな違いがあったことは注目に値します。
バークシャー・ハサウェイ(1965年)
バークシャー・ハサウェイは歴史の長い繊維会社でした。十分な資産を持つネットネット企業であり、魅力的な現金も稼いでいました。
バフェットが投資してから暫くは好調でしたが、日米繊維摩擦に代表されるように、米国の繊維産業は競争力を失い構造的な不況業種となっていきます。そして、バークシャー・ハサウェイは売却されず、中核的な投資会社として現在に至ります。
ここで著者(イェフェイ・ルー)が指摘しているのは、グレアム流のシケモク的な2流/3流の資産のみ優れたネットネット株を購入しても、それは長期保有を前提とはできなくて、数年後の出口戦略までセットで考える必要があるということです。
中期(1968年から1990年まで)
バフェットは、投資組合を解散して、バークシャー・ハサウェイを投資媒体として率いるようになります。
以前は、資産価値に重きを置いたネットネット株に対する投資が主体ですが、徐々に企業の本質にウェイトを置くようになります。
ナショナル・インデムニティ・カンパニー(1967年)
中堅の火災損害保険。利益を重視して保守的に運営されていました。
バフェットは、アメリカン・エキスプレスの時と同様に、フロートによる利益(保険料を現金で得ても実際に補償金として支払われるまで無利子で自由に使える)を重視し、以降、フロートを投資に使うというスタイルを確立していきます。
シーズキャンディーズ(1972年)
当時はカリフォルニア州でブランドが確立した老舗のキャンディ製造会社でした。
バフェットは、シーズをPER11.9倍という彼にしては余り割安ではない価格で購入しています。
シーズへの投資は、投資対象が「シケモク株」から「永続的な競争優位性を持つ企業」への象徴的な転換点として度々取り上げられています。
その他
以下、本書に掲載されているバフェットがこの期間に購入した銘柄です。
なお、ガイコは代理店を経由せずに消費者に保険を直販するビジネスモデルで急成長した企業です。バフェットが学生時代に新聞に寄稿した逸話とともに、フロートによる打出の小槌的な存在でもあります。
- ワシントン・ポスト
- ガイコ(ガバメント・エンプロイース・インシュアランス・カンパニー)
- バッファロー・イブニング・ニュース
- ネブラスカ・ファニチャー・マート
- キャピタル・シティーズ/ABC
- ソロモンへの優先株投資
- コカ・コーラ
後期(1990年以降)
中期以降、バフェットは有名な大企業への投資をメインとして、運用資産は数十億ドルを超えていました。
ここで彼が直面したのは、この大量の資金を上手く運用しなければならないという点でした。
USエア・グループ(1989年)
USエアは航空会社で同業2社を買収して拡大基調にありました。
幾つかの欠点と利点がありましたが、バフェットは10年後に償還が義務付けられている年9.25%の配当付き転換優先株を購入しました。転換権は高い株価に設定されていたので、実質的に年9.25%の社債を購入したのに近い感じでした。
結果は芳しいものではなく、1992年には不況によって多くの同業が倒産し、1994年にはUSエアの配当が停止されました。バフェットは株式の売却を試みましたが上手く行かない状況に陥りましたが、幸いにも1995年には黒字転換をし、優先配当および転換後の売却益を得ることができています。
ウェルズ・ファーゴ(1990年)
1989年から1990年にかけてS&L(貯蓄貸付組合)の約半分と商業銀行の約20%が倒産しました。この混乱の中で銀行株は大きく値を下げ、ウェルズ・ファーゴも例外ではなく、PERは5倍、PBRは1.1倍程度でした。
しかしながら、同銀行の財務状況と業績はそれほど悪くもなく、それを分析したバフェットはウェルズ・ファーゴを大量に購入して莫大な利益を得ています。
その他
以下、本書に記載のある投資対象になります。
なお、ジェネラル・リは再保険会社で、バフェットが得意にしているフリートによる妙味がある企業です。
- ジェネラル・リ
- ミッドアメリカン・エネルギー・ホールディングス・カンパニー
- バーリントン・ノーザン
- IBM
感想
本書は、先日読んだ『バフェットの株式ポートフォリオを読み解く』と似た構成、つまり、ウォーレン・バフェットの投資戦略と具体的な事例を解説した書籍です。多少の視点の違いはありますが、ある程度は同じことを違う表現で記述しているという感じでしょうか。
最大の違いは、『バフェットの株式ポートフォリオを読み解く』に比べて本書の詳細さが数倍以上あるという点です。少し極端かもしれませんが、前者は入門編、後者(本書)は上級編という感じがしました。
バフェットをさらに深く知るなら『スノーボール』(上・中・下)を読むという選択肢になろうかと。
所要時間5時間。
(了)