先日の2018年05月05日、ウォーレン・バフェット氏が率いるバークシャー・ハサウェイの年次株主総会が米国ネブラスカ州オマハで開催されました。
下の写真は、米国Yahoo!Financeの実況中継動画から拝借したもので、バフェット氏のそばに同社の投資銘柄であるコカコーラ(向かって右)とビーナッツブリトル(シーズキャンディー。向かって左)が置かれています。
冒頭、バフェット氏がビーナッツブリトルを取り出して隣の副会長であるチャーリー・マンガー氏に渡すと会場は爆笑でした。
株主総会の前後を含め、バフェット氏に関する話題はたくさんありましたが、その中で私が気になったことを3つ書いてみます。
現金比率
バークシャー・ハサウェイが保有する現金について、下図はBloombergから拝借したものですが、ほぼ右肩上がりに増加しています。
バークシャー・ハサウェイの四半期レポートによると、資産は下記のとおりです。
同社の事業は「保険・その他」「鉄道・公共・エネルギー」「金融」の3セグメントからなっていて、ここでは、各セグメントの赤枠で囲んだ「現金および現金同等物(Cash and cash equivalents)」と「米国短期国債(Short-term investments in U.S. Treasury Bills)」の値を合算したものを「現金」と呼ぶことにします。
2018年03月31日現在、同社が保有する現金は108,562百万米ドル(=50,559+48,040+3,550+3,772+2,641)で、日本円に換算すると約12兆円と膨大な金額が積み上がっています。
これに対し、資産の総額は702,651百万米ドルなので、同社の現金比率は15.45%(=108,562÷702,651)になります。
3ヶ月前の2017年12月31日は現金比率が16.52%でしたので、やや下がっているとは言え、高止まりしている感は否めません。
ちなみに、当ブログ内の「退職後の資産運用計画」カテゴリで述べたとおり、2018年04月時点で株価水準から現金比率を決めていますが、このときにバークシャー・ハサウェイの「現金比率16.52%」という数字を参考にしています(早期退職した個人投資家なので安全係数を約2.5倍取って40%としましたが)。
アップル株
バフェット氏は自分の知らないものには投資をしないというスタイルで、IT企業への投資は2011年のIBMが最初でした。
その保有しているIBM株の9割強を昨年の第4四半期に売却し、今回、残りのIBM株もすべて売却したことが明らかになりました(ちなみに私もバフェット氏の売却の話を聞いて保有していたIBM株を売却しました)。
その代わりに目をつけたのがアップルです。
2016年にアップル株を最初に購入して以来、購入を続け、2018年第1四半期には7,500万株のアップル株を買い増ししています。
その結果、バークシャー・ハサウェイはアップルの発行済み株式の5%を占める第3位の株主になっています。
同時に、バークシャー・ハサウェイが保有する資産のうち金額ベースで4分の1近くがアップル株でもあります。
また、株主総会の後、バフェット氏がテレビ番組で「(アップル株を)100%保有してもいい」と語ったとも伝わっています。
このようなバフェット氏効果で、アップル株は過去最高値を更新しました(下図は米国Yahoo!Financeから)。
市場はこれを好感して、GoogleやAmazonも連れ高に動いています。
人工知能銘柄のFANG(フェイスブック・アマゾン・ネットフリックス・グーグル)がもてはやされてから数年が経ち、今さらアップルかと思う方も多いかもしれませんが、慎重なバフェット氏が確たる勝算があってアップル株を買い増しているというのは、かなりの安心材料でしょう。
ちなみに、私が保有している米国の個別銘柄は下記のとおりです(保有額の降順)。
- アマゾン(AMZN)
- アルファベット(グーグル/GOOG)
- マイクロソフト(MSFT)
- エヌビディア(NVDA)
- アップル(AAP)
- フェイスブック(FB)
- ネットフリックス(NFLX)
保有額の違いは、上位3銘柄は私が日頃から使っているもので、エヌビディア以下の4銘柄は私が使っていなという単純な理由です(スマホはシャープ製で格安SIMだし、フェイスブックも登録していません)。
バフェット氏を見習って、短期の動きに一喜一憂することなく、人工知能銘柄はホールドし続けようと思います。
シティ・サービス優先株
これは、バフェット氏のファンであればご存知の有名な逸話に出てくる銘柄です。
Wikipediaによると、
バフェットは、11歳の時に初めて株券を購入した。姉のドリスと共にシティ・サービスの優先株を1株38ドルで3株購入したのだが、その後、1株27ドルまで下落した。バフェット達は1株40ドルまで値を戻したところで売却したが、シティ・サービス株は長期的に上昇し続け、200ドルになった。この経験から、バフェットは忍耐を学んだと後に述懐している。
今回、冒頭でバフェット氏の写真を引用した米国Yahoo!Financeの実況中継動画を観ていて、バフェット氏本人がこの逸話を詳しく語っていました(私は英語が得意でないので多少間違っているかもしれないので念のため)。
話は、1942年03月の新聞記事から始まります。
当時、日本軍はフィリピンを陥落させ、太平洋戦線では米国が劣勢でした。
バフェット氏は新聞をよく読んでいたのですが、1942年03月10日にこの記事を読んで、夜、父親に相談をします。
記事の内容は、日本軍がオーストラリアまでの制海権を握ったという見出しでした。
シティ・サービス優先株は、前年(1941年)は84米ドルだったのに1942年01月上旬には55米ドルまで下がっていました。
そして、この記事が掲載された1942年03月10日は40米ドルでした。
翌日(1942年03月11日)の朝、父親はバフェット氏の代わりに38.25米ドルで3株を買ってくれたのですが、それは当日の最高値で、同日の終値は37米ドルでした。
そこから株価はさらに下がるのですが、米国がミッドウェー海戦に勝利をして優勢を固めると、株価は反転して200米ドルを超えることになります。
しかし、実は、バフェット氏は1942年07月10日に40米ドルで売却してしまっており、わずか5.25米ドル(=1.75米ドル×3株)の儲けをポケットに突っ込んで終わり、という有名なオチで会場は笑いに包まれました。
バフェット氏が初めて株式を買ったきっかけが太平洋戦争で日本軍が優勢だという新聞記事だったことに驚きましたが、バフェット氏は1930年08月30日生まれで(日本的にいうと)そろそろ米寿を迎えるんですね。
いつまでも元気に長生きされますように。